薬物乱用が引き起こす事件

元大麻乱用者20歳代男性

「一度使ってしまえばやめることはできない」と学校の授業で教わってきました。しかし…

「一度使ってしまえばやめることはできない」と学校の授業で教わってきました。しかし、違法薬物はきっかけがあれば、ほんの少しの気の緩みにつけ込んでくるのです。私は、19歳から大麻を吸うようになりました。当時の私は、スケートボードやヒップホップにはまっていて、本場のアメリカのニューヨークに思い切って行ったのが大麻との出会いの始まりでした。ニューヨークの街を散策していた時のこと、裏通りを歩いていると知らない男から「大麻があるけど吸わないか」と声を掛けられたのです。大麻が違法な薬物であることは知っていましたし、私自身、違法薬物とは一線を引いていたつもりでしたが、「アメリカでは皆大麻を吸ってるよ」と言われ、海外だからバレないだろうし、1回くらいならやめられるだろうと、大麻を譲ってもらい吸ってしまいました。今では、その1回が失敗だったと深く後悔しています。大麻を吸うと音が鮮明になったり、お酒を飲んだ時のようなフワフワする効果が得られ、私は大麻の虜になってしまいました。日本に帰った後も知り合いのつてで大麻を仕入れ、吸うようになり、そればかりか数人の知人と一緒に大麻を密売するようにもなっていました。私はいつしか、大麻で生計を立てるなど、完全に感覚が麻痺し、当時の彼女と同棲していたアパートに警察がやって来て、逮捕され、同居していた彼女も一緒に逮捕されました。執行猶予付きの判決を受け、二度と大麻には手を出さないと誓ったはずが、執行猶予の期間が過ぎると再び大麻に手を出してしまいました。今度は、自分で吸うだけで、密売までしなければ、捕まらないと甘い考えがあったのです。しかし、再び警察に捕まりました。自分は、絶対に違法薬物には手を出さないと思っていたのに、いつしか私は大麻に依存していたのです。誰もが学校などで、違法な薬物について学び、「自分は違法薬物に手を出したりしない」と自信を持っているのではないかと思います。しかし、薬物は想像以上に身近に存在し、ほんの少しのきっかけで使うようになり、いつしか依存し、やめることができなくなります。大麻と無縁の暮らしがしたいです。

覚醒剤乱用者の家族70歳代女性

息子が覚醒剤で逮捕されたのは、今回で8回目…

息子が覚醒剤で逮捕されたのは、今回で8回目になります。女手一つで、一人息子を大切に育ててきました。最初に覚醒剤で捕まったのは20年くらい前のことで、パチンコ店で知り合った女性から覚醒剤をもらったことがきっかけだったそうです。刑務所を出てきて少しの間は、真面目に生きようと家業を手伝ってくれたのですが、再び覚醒剤に手を出して警察に捕まってしまいました。それからも、刑務所から出ては時間を置かずに覚醒剤で捕まることを繰り返していましたので、息子はこれまで定職に就いたことはありません。息子には不自由をさせまいと、毎月小遣いを与えていたのですが、その小遣いで毎回覚醒剤を買っていました。そして、そのお金がなくなると、家に置いている宝石など金目の物を売ってお金にしていました。今思えば、お金を渡していた私にも責任があるのだと反省しています。息子は、警察の留置場や刑務所から、手紙を送ってきて、覚醒剤を使ったことを深く反省しているようでしたので、面会に行ってお金を差し入れたりしていました。これまでに50万円ものお金を差し入れしたこともあり、担当の刑事さんから「甘やかしすぎる」と毎回叱られるのですが、送られてくる息子の手紙を見てはかわいそうになり、面会や差し入れを止めることができません。
息子は、本当に気が小さく、周りからの評価をすごく気にする性格で、優しい心を持っています。私としては、これっきりで覚醒剤と縁を切ってくれればという思いでいるのですが、その思いは毎回裏切られます。それでも「もしかすると、今回で最後にしてくれるかもしれない」という思いが消えず、息子のことを信用してお金を出してしまいます。しかし、私もお金を出すばかりではなく、覚醒剤と縁を切らせるため、病院や支援施設に何度か相談をしたことがあるのですが、最後は本人の気持ちが大事だそうで、本人が希望しないと入院はできないし、治療も難しいという話を聞かされました。今回も刑務所から出てきてからは、しばらくはおとなしく家の手伝いをしてくれましたが、再び覚醒剤を使って警察に捕まりました。息子も40歳を超えました。普通なら、とうに結婚して子どももいる年ですが、結婚はおろか、職にも就いていません。これまでに自分で携帯電話のお金を払ったことはありませんし、自分で車を買ったこともありません。本当に、自分の力で手に入れた物は何一つないのです。私も高齢となり、いつまでも息子の面倒を見ることができませんので、今回息子が捕まってからは、意を決して面会も差し入れもしていませんでした。息子からは、頻繁に手紙が届きます。手紙が届くたびに、これで良かったのかと悩み、苦しんでいます。これまでと同じように、お金の差し入れをしてやれば、どれほど楽だろうかと思います。手紙が入った白い封筒が届くたびに、気持ちが重くなります。私も病院に通い、安定剤や睡眠薬をもらっている状態です。「息子には一切関わり合いたくない。」「こんな息子なんて、いっそのこと死んでしまったらよいのに」と思うのですが、息子から届いた手紙を読むと「冬を迎え、寒い思いをしているだろう」とかわいそうになり、とうとう1万円を差し入れてしまいました。いつまでこのようなことが続くのでしょうか。

覚醒剤乱用者60歳代男性

私の薬物乱用人生は、高校時代に悪仲間に誘われて吸ったシンナーから始まり…

私の薬物乱用人生は、高校時代に悪仲間に誘われて吸ったシンナーから始まりました。そして、20歳のころ、先輩から誘われ、覚醒剤も乱用するようになりました。その後、23歳で結婚、妻や子供ができたことで、一時は覚醒剤から離れましたが、離婚を期に、また覚醒剤を乱用するようになってしまいました。この頃から何をやっても長続きせず、仕事を転々とし、最後にはヤクザにも入りました。当時の私の生活は覚醒剤が最優先で、覚醒剤の量も少量では高揚感が得られず、効き目を求めて量が増えていきました。当然、覚醒剤を手に入れるにはお金が必要で、親や親戚、知り合いに嘘をついては無心し、覚醒剤のお金を用立てていました。住んでいたアパートも家賃の滞納で何度も追い出され、親から縁を切られ、実の息子とも疎遠になっていきました。覚醒剤を使い続けていたせいかわかりませんが、私は脳梗塞で倒れ入院をし、現在も後遺症が残り、不自由な生活を送っています。今考えれば、覚醒剤を血管に入れて使い続けていたのが原因だと思います。私も60半ばとなり、覚醒剤から足を洗い10年が過ぎました。なんとか生活はできていますが、3年前に田舎で暮らす母親が亡くなったことを風の便りで聞き、母の死に目にも会えなかったことが悔やまれます。また、息子は結婚し、子供もいるようです。孫を一目でも見たいと思っているのですが、それも許されません。これも私が覚醒剤を乱用していた私への報いだと思っています。

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